小林ゴールドエッグ

ソムリエ日記 SOMMELIER DIALY

たまごと偉人有名人のエピソード 記事一覧

こんにちは!たまごのソムリエ・こばやしです。

たまごと偉人のエピソード第22弾、

今回はスペインの天才画家サルバドール・ダリさん。

ほら、グニャグニャになった時計の幻想画、見たことありませんか?

独特の画風と視点は多くの方を魅了し、シュールレアリスムの代表とまで言われています。

さて、このダリさん、卵が大好きだったのですね。

ダリさんは卵の「カタチの完璧さ」美しさに魅せられ、

また「生命の源」であるという卵の存在そのものに魅力を感じていたようです。

数々のたまごモチーフの作品を残しておられまして、少し紹介しますと‥

これは、「ナルシスの変貌」という作品。

左にいる「うつむいたナルシス」と同じ構図で右に「指で持った卵」が描かれています。

これは「皿の無い皿の上のたまご」という作品。なんと!ダリさんがお母さんのおなかの中にいた頃の記憶を元にしたもの。ぶら下げられている目玉焼きは、へその尾でつながったダリさんご自身なのだとか。うーん、確かに夢に出てきそうなインパクト!

他にもいくつもの卵愛にあふれた作品があるんです。

〇これは夢か…!?幻想的な『ダリ風たまご料理』

そしてあまり知られていませんが、なんと!ダリさん料理レシピ本まで書かれているんですね。画家なのに。

ダリさん小さい頃は料理人になりたかったそうで、有名なグニャグニャの時計の絵『記憶の固執』もカマンベールチーズのとろけ具合からイメージしたものなのだとか。

『ダリ執筆の料理本』が出版されたのは69歳の時。全12章・136ものレシピと盛りだくさんです。フレンチ三ツ星の有名レストランが監修協力している本格っぷり。

さすが天才幻想画家が考えるだけあって、

「ダリ風の料理」

という言葉から受けるイメージ通りの、

なんとも夢に出てくるようなクレイジーな盛りつけです(笑)

もちろん玉子料理もいくつも載ってまして、西洋料理としてはかなりマニアックなたまご料理が紹介されています。また機会を見てぜひご紹介しますね。

 

〇家も美術館もたまご…!

また、なんといっても、晩年をすごした彼の家が「たまご」なんです。

通称「卵の家」、ポル・リガットというステキな地中海の港町にありまして、お家のあちこちに卵の卵のオブジェが置かれているんです。今は博物館として公開されています。

ちなみに別の町、ダリの生まれ故郷にある「ダリ劇場美術館」はもっとすごくて、外壁や門の車止めも卵だらけです。

〇新たな視点こそ「たまご」!

ダリさんの作画特徴に「ダブルミーニング」というものがあります。ジーッとある物を眺めているとダンダンと別のものに見えてくる。それを捉え、両方の特徴を絵に現すのです。

僕も当社の卵洗浄ラインを眺めていてふと「大名行列みたいだなぁ。」と思ったり、走る電車を眺めていると10個入り卵パックに見えてきたりすることがありますが、これもきっと僕の中のダリ的絵画素養、ダブルミーニングの発露なのかもしれません(違う)

目の前のものを、新たなイメージや意味としてよみがえらせる、再度生まれさせる。

ダリさんが見ている世界の視点そのものが、完璧なフォルムから新たな生命を生み出す「たまご」につながっていたのかもしれません。

生まれる前のイメージに卵を想い、また晩年を卵モチーフに囲まれて過ごす。

たまご屋としては、なかなかステキな生き様だなぁと感じました。

ここまでお読みくださって、ありがとうございます。

こんにちは!たまごのソムリエ・こばやしです。

卵と偉人・有名人のエピソード第21弾

今回は、伝説のロックミュージシャン、エルビス・プレスリーと料理評論家ゲイル・グリーンさん。

この2人のロマンスと一つの目玉焼きサンドイッチが、ニューヨークをクールな食の街に変えた。そんなお話です。

プレスリーさんは言わずと知れたロックンロールの帝王、世界のレコード・CD総販売数は6億枚以上、「彼がいないとビートルズもマイケルジャクソンもいなかった」なんて言われるくらいスゴイ人。死後40年経っていますが「彼はまだ死んでいない」と信じているファンが今だ数十万人もいるのだとか。

ゲイル・グリーンさんは日本ではあまり知られていませんが、米国では超有名なレストラン評論家。「ニューヨークマガジン」という有名誌でずっと寄稿をされていまして、1968年・33歳でレストラン評論家に就任した当時ニューヨーカーのほとんどが食に詳しくなく、名前を知っているシェフもほとんどいなかった時代から40年間、ニューヨークとアメリカ食文化の高まりを発信し続け、多くの料理人さんにインスピレーションを与え続けた草分けの方です。

さて、

そんなグリーンさんは若い頃からとにかく思い立ったら即行動、情熱の人でして、二十歳ごろに2歳年上の大スター、エルビスプレスリーの大大大ファンになってしいます。

「何とかしてお近づきになりたいな。」

他のファンの子はコンサートでキャーキャー言ったり、テレビ局やラジオ局の出口待ちをする、なんて今も昔も変わらない行動を取っていたわけですが、彼女はちょっと違いました。

当時のグリーンさんは大学を出たばかりで就職活動中。

まず、プレスリーのプロデューサーだったパーカー氏に手紙を書きコンタクトを取ります。

「エルビスと一日一緒にすごして、それを記事にさせてください!」

例えるなら無職がAKBアイドルの独占取材を秋元康にお願いするようなもの。

うーん、すごい行動力ですね。

残念ながらそれはかなわず、プレスリー公式記者会見の招待状が返ってきて彼女は憤慨します。それでも充分凄いんじゃないでしょうかね…。

そして、全くへこたれることなく、

その後プレスリーの活動予定をすべて把握、

コンサート会場のセキュリティ体制を調べ上げ、

警備の担当者を懐柔し、

ステキなドレスを着てプレスリーと自然に出会える状況を画策、「私はあなたのものよ。」と艶のある黒髪を後ろに流しながらウィンクし、とうとうプレスリーさんの心を射止めお忍びで一夜を共にすることに成功します。

うーん、まるでルパン三世のヒロイン峰不二子ですね(笑)

さて、

情熱的なひとときを過ごした後

プレスリーがふと、目玉焼きサンドが食べたいと言ったのだそうです。

グリーンさん後年の回顧録によると、

『さよならのキスをしようかと思いながら財布を取っていると、エルビスが目を開けてまばたきをしました。彼は電話に向かって肩をひねり、ふと

「ルームサービスに電話して目玉焼きサンドを注文してくれないか?」

エルビスとどんな時間を過ごしたのかは覚えていません、でも、その目玉焼きサンドイッチは忘れたことはないのです。そう、トーテムポールみたいな目玉焼きサンド。その瞬間、私はレストラン評論家になるために生まれてきたのだと気づいたのです。』

と振り返っています。

つまり、グリーンさんがニューヨークを『カッコいい最先端の食の街』として知らしめる先駆的な「食通」になったきっかけが、この目玉焼きサンドだったのですね。

目玉焼きサンドイッチは米国では非常に人気で、いろんなダイナーやホテル、レストランで、それこそ高級なものから大衆的なものまで非常にバリエーションも多い玉子料理です。

グリーンさんの中で「神様」だったエルビス・プレスリーさんが目玉焼きサンドイッチを頼む姿を見て、彼もまた日常を持つ人間であり、またどんな人にも「食」はこだわりと幸せを運ぶ存在だと気づいたのかもしれません。

25年ほど前、僕はアメリカで貧乏旅行をしていた時にプレスリーの生まれ故郷メンフィスにあるプレスリー邸「グレースランド」を訪れた事があります。

邸宅の裏にプレスリーさんが眠る墓所があるのですが、死後二十数年経つのに供えられる花束が山のようでした。いやもう、ファンにとっての永遠の『神様』なんだな、という事がすごく伝わってきました。

そんな“神”ではなく「人としてのプレスリー」に興味を持てるきっかけが目玉焼きサンドだった……なかなか興味深いです。

この目玉焼きサンドが無ければ、

ゲイルさんは全米一のレストラン評論家になることはなく、

ニューヨークに77件もの星を持つほどの百花繚乱有名シェフのレストランが立ち並び、パリやフィレンツェと並ぶ「美食の街」になることも無かったのかもしれません。

ここまでお読みくださって、ありがとうございます。

(参照:“Insatiable” Gael Greene著)

(関連:100ドル(一万円)のたまごサンドイッチ、リッツカールトンホテルで登場-たまごのソムリエ面白コラム

(関連:卵一個が大トラブル!760万円のサンドイッチ代の行方は・・・!?-たまごのソムリエ面白コラム

こんにちは!たまごのソムリエ・こばやしです。

たまごと偉人のエピソード第19段

今回はルネサンス期の彫刻家であり建築家フィリッポ・ブルネレスキさん。

とにかく聡明で発想豊かな方で次々と建築の新技法を編み出し、

イタリアのフィレンツェを代表する建築物サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を設計した人として有名です。

この大聖堂、プルネレスキさんの考案した技術により「現存する世界最大の石積みドーム建築」として世界中の人から愛でられております。

さて、このプルネレスキさんの逸話です。


フィレンツェ市が、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を建てる事になった際。

「フィレンツェの新しい顔になる建物にするぞ。」という大きな期待もあり、広く建築家を募集しました。

特に、中心となるクーポラ(ドーム屋根)

コレの大きなものを作ろうとすると、とっても難しい。

いろんな建築家が案を出しましたが、どれも下から支える枠や土台にすごく費用と手間のかかる案ばかり・・・。

そんな中、ブルネレスキさんは「いっさい仮枠や足場は必要ない。そんなもの無くても建てられるよ。」と、直接出向いて話をしました。

「バカなやつだな。その“方法”の図面すらないじゃないか。方法も言わないヤツの案なんか採用するもんか。いや、そもそもできっこないだろう。」

周囲の嘲笑の中、ブルネレスキさんは、

「じゃぁ、大理石の上に卵を立てられますか?皆さん。支えが無くても平らな大理石にまっすぐ立つなら、大聖堂のドームだって枠なんか無くても建てられます。」

皆がやってみますが、ツルツルコロコロと転がって、卵を立てることができません。

「できるもんか。じゃあどうやるのか見せてみろ!」

そんな中でブルネレスキさん、卵のお尻をコツン!と割って平らにして、それから卵を立てました

「なんだそりゃ(笑)そんなの知ってりゃ俺たちだってできるわい!」

との返答に対して、

「その通り。気づいたら誰でもできる、でもいちばん始めは難しいですよね。大聖堂だって、もしボクの図面を見せたら『誰でもできる』って言うでしょう? だから図面は見せません。でも僕の方法は無理じゃない。ゼッタイ素晴らしい大聖堂のドームができます。」

そのプレゼンで、みごとブルネレスキさんは大聖堂ドームの建築を任される事となったのです。

めでたしめでたし。


ん・・・・・・?

なんか、このお話って聴いた事あるぞ・・・・・・!?

…と思った方、そのとおり。

これ、「コロンブスの卵」のエピソードと瓜二つなのです。

念のため説明しますと、コロンブスの卵とは、

『アメリカ大陸発見後のパーティで「あんなもの西へどんどん行きゃ誰でも見つけられるさ。」と揶揄されたコロンブスさん、「この卵をテーブルに立てられるかい?」と投げ返し、誰もできなかったのを見た後に、たまごのお尻をつぶして立てました。「知ってたら誰でも行ける」…というのはこの卵立てとおんなじさ。』

というお話。

確認するとブルネレスキさんの逸話の方が15年ばかり早い。コロンブスさんのエピソードは後世の演出で、どうも元ネタなのはブルネレスキさんの方のようです。

うーん、それでもコロンブスさんの話の方がが有名になっちゃったのは、やっぱり「大陸発見」と「建築」とのインパクトの差でしょうかね…。

ともあれ、ブルネレスキさんは建築のみならず彫刻や金細工、絵画など他の芸術面でも活躍をしておりまして、

例えば、今では常識となっている「遠近法」という表現技術も考案しています。

遠近法、つまり

「遠くのものは小さく、近くの物は大きい」

という考え方。

現代では当たり前ですが、「モノの大きさが変わったりするわけないじゃん。」という当時の常識にとらわれていては、なかなか気づかない発想とも言えます。

遠近を考えた表現作品を見た瞬間に「ああ!そりゃそうだよなぁ。」と皆が実感できる。

これもまさにコロンブスの・・・いやいやブルネレスキの卵ですね。

これまでに無かった視点での発想

それを実現するアイデア

そして周囲を納得させる説得力

もしブルネレスキさんが現代に生まれていたら、スティーブジョブズやビルゲイツばりの大実業家になっていたかもしれませんね。

ここまでお読みくださって、ありがとうございます。

(関連:あの文学者は大魔導士だった!?イタリアの「たまご城」伝説-たまごのソムリエ面白コラム

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こんにちは!たまごのソムリエ・こばやしです。

たまごと偉人のエピソード第17弾です。

今回は永遠の大スター、ポールサイモンさん。

僕たちより上の世代では、

「サイモン&ガーファンクル」

としても有名な米国の歌手です。

ボクも大ッ好きな方で、史上最多13ものグラミー賞を受賞、タイム誌「世界で最も影響力のある100人」にミュージシャンとして唯一選ばれる(2006年)くらいのスゴイ方。

彼の代表曲に

「母と子の再会(Mother and Child Reunion)」

という歌があるのですが(※日本でのリリース時には「母と子の絆」と訳されています)、

この歌にちょっと興味深いエピソードがあります。

NYチャイナタウン

ある日、サイモンさんは中華料理店に入り昼食を摂りました。

さて、何を食べようか…

と開いたメニューから目に入ってきたのが

「母と子の再会」

という料理でした。

これを見た瞬間サイモン氏は強いインスピレーションを得たと、後々語っています。

料理から名曲ができる…なかなかステキなお話です。

この、

「母と子の再会」なる料理。

コレ日本で言う「親子丼」のことなんですね。

つまり、鶏肉と卵の料理。

“親子”

すなわち“母と子”が「ふたたび」出会って、

美味しい料理になっている。

その事にサイモンさんは衝撃を受けたわけです。

「それってあんまりカワイソウじゃん・・・!」

と思ったのか、「ステキな再会・・・!」と思ったのかは分かりませんが、

歌詞の

『こんな奇妙で悲しみに沈んだ日なのに、母と子は再会した』

…というフレーズを見る限り、どうやら「食べられる直前の短い再会」、という“皮肉な運命”に対しての悲しみのある驚きだったようです^^;

卵消費量世界第3位の国・日本に住む私としては、

「そんなに驚く組み合わせかなぁ・・・?」

と思わないでも無いですが、

実は

サイモンさんにとって、

「卵と鶏肉」の組み合わせは

「食べようと考えてはいけないメニュー」だったかもしれないんです。

 

◆ユダヤ教では親子丼は超NG!
ポール・サイモンさんはユダヤ系アメリカ人。

そして、

ユダヤ人にとって「親子丼」はタブー料理なんです。

ユダヤ教の戒律には

「子ヤギの肉を、その母の乳で煮てはならない」

と記されています。

お母さんと子供を一緒に料理するなんてかわいそう!ダメダメ!

…という考えのようです。

同じ理屈で、

チーズバーガーもアウト。牛肉と乳製品ですから。

クリームシチューにお肉を入れると、これもアウトです。

鮭イクラ丼なんてのも、もちろんダメ。

イスラエルでは「胃の中で一緒になるとダメだから。」という理由で、肉料理のコースではデザートにアイスクリームなど乳製品を用いない、なんてレストランも少なくないのだとか。

うーん、厳しい!

もしかすると、サイモンさんは幼少から、あまり親子丼の食材組み合わせに触れてこなかったのかもしれませんね。

そして、サイモンさんは親子丼との衝撃的出会いの少し前に、長年連れ添った愛犬ペギーを亡くしています。

「身近に起こった愛する者の、初めての死だったんだ。その喪失感と“母子の再会”料理の衝撃が繋がって、この曲ができたんだ。」

との事で、色々な出会いと別れ、死生観がこの名曲を形作ったんですね。そう思ってこの歌詞を聞いてみると、なかなか興味深いです。 良い曲ですので、ぜひちょっと聞いてみてください↓

◆革新し続けることの素晴らしさ・・・!
ポール・サイモンさんの初アルバムリリースは1965年最新アルバムは去年。なんと50年以上に渡り、自分の築いたスタイルを崩しレゲエやエレクトロミュージック・アフリカ民族音楽など、様々な音楽を次々取り入れ新境地を開拓し続けているんですね。

親子丼の歴史は、およそ百年。

伝統ありながら、こちらも生たまごの黄身を添えたり、ふんわり泡立てたり、まだまだ新技法とレシピが考案され続けています。

僕達も、いろんな出会いやご縁を活かし、よい食づくりに励まないといけませんねー。

ここまでお読みくださって、ありがとうございます。

(関連:海外ではタブー!?親子丼の謎 – たまごのソムリエ面白コラム

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こんにちは!たまごのソムリエ・こばやしです。

夏限定!たまご・鶏さんのちょっと怖い伝説、第5弾です。

今昔物語9巻に載っているお話。

中国の昔、

北周という国の第3代皇帝、武帝という方がおりました。

この方、とっても鶏卵が大好きで、毎食大量のたまごを食べていました。

さて、武帝が死んだのち、

彼は卵を食べた“殺生”の咎で地獄へ落ち、

責めを受けました。

『極卒の牛頭が鉄の床に伏せた武帝を両側からギュウギュウ押す。

すると武帝の両脇が裂けそこから血の代わりにたくさんの「たまご」が出て来て武帝の体のそばに積み重なった。』

のだそうです。

うーん、これは怖い…!

…のかなぁ…!?

まぁちょっとシュールな光景であることは確かですね。

これは「今まで食べてきたたまごが体から押し出される」、という責め苦でしょうか?

私は卵屋ですから、毎日たまごをたくさん食べ続けているんですよね。

うーむ。

地獄で責められたら沢山たまごが出そうだなぁ。

息子はカマンベールチーズが大好物なんですが、死んだらチーズが出るのかな…^^;

◆仏教からの復讐…!?
さて、以前も書きましたが、そもそも仏教では「たまごを食べる」ことは殺生として禁じられていたんですね。

日本でも、平安時代に書かれた仏教伝来のための書「日本霊異記」や鎌倉時代のエピソード集「沙石集」で、卵や魚を食べてバチがあたる人の逸話が書かれています。

(関連:【納涼】たまご・にわとりの怖い伝説 その2 – たまごのソムリエコラム

(関連:【納涼】たまご・にわとりのちょっと怖い伝説 その1 – たまごのソムリエコラム

じっさい、日本では仏教伝来後の平安時代から、欧州文化が入ってくる1600年代まで、800年近くのあいだ、卵を食べる文化がピタッと無くなっちゃっていました。

そして、この武帝さん、仏教的にはめっちゃ恨みを買っている方でもあります。

じつは、中国に仏教が伝来してから、国家権力を大動員して仏教迫害をした4人の皇帝の一人なんですね。

文武百官を集め「道教・仏教・儒教」3教の優劣を論じさせ、仏教と道教を廃止させた、という『宗教生き残りバトル(?)』をやったエピソードが有名です(周武の法難・574年)

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「武帝さんが地獄に落ちて責め苦を受ける」というお話は、後の仏教徒が「あのヤロウめ!」…という感覚でもって語り継いだんじゃないかと思います。

してみると上の「たまご伝説」は、

「卵を食べたから罰せられた。」じゃなくって、

「武帝さんが罰せられることありき」で卵がその恰好の理由に選ばれたようにも感じますねー。

ここまでお読みくださって、ありがとうございます。

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こんにちは!たまごのソムリエ・こばやしです。

卵と偉人のエピソード第15弾です。

今回は古代ローマの詩人ウェルギリウスさん。

 

◆港町ナポリの「卵城」
下の写真は、イタリア・ナポリにある「卵城(Castel dell’Ovo)」と呼ばれるお城。

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けっこう大きな城塞です。

 

サンタルチアの港に築かれたもので、

もともとはローマ帝国軍人ルキウスが建築した建屋を11世紀に改修し、

今の城塞になったのだそうです。

なぜ「卵城」かというと、

古代ローマ時代から中世にいたる、ある伝説がきっかけなのです…。

◆「このたまごが割れるときは…」
古代ローマの詩人、ウェルギリウスさん。

この方はラテン文学の第一人者でして、

ヨーロッパ文学史上、最も重要な人物」と言われるスゴイ人。

ギリシャ神話について書いた叙事詩「アエネーイス」が特に有名です。

例えるのもヘンですが、

全ヨーロッパ規模の紫式部

みたいなカンジでしょうか。

さて、このウェルギリウスさん。

どういうわけか、死後千年経った中世時代になって、地元ナポリを中心に

「詩人ウェルギリウスは偉大な魔術師だった。」

という伝説ができたんですね。

書物のかぎりでは12世紀ごろに語られ始めたようですが、

『彼は魔術師だった父母の教えを受け継いだ大魔術師で、

彼が作った青銅像は弓を引きヴェズビオ火山の噴火を鎮め、

彼の魔力で

ナポリと隣市をつなぐ「ピエディグロッタの洞窟」を掘り、

城壁を築き

温泉を掘り当て

町から害虫を追い払い

毒蛇を捕まえる「鉄の檻」を作り

腐らない肉を開発し

果物を豊作にする東風を呼び

あらゆる病気を治す薬草の栽培を手掛けた』

こんな風に語られていたそうで、

とにかく超スンゴイ、スーパーマンだ!ということになったんですね。

さて、その“大魔術師”さんが

ナポリのお城づくりにかかわったときのことです。

城塞のどこか、

城の基礎深くに「秘密の小部屋」を作り

鉄のカゴに納められた「卵」を隠し、

「この卵が割れるとき、城だけでなくナポリ全土に壊滅的な危機が訪れるであろう」という呪いをかけた……

これが卵城の伝説です。

(ちなみにその「卵」は、鶏が初めて産んだ「初産みたまご」だとか。)

このことから、「たまご城」の名前がついたわけですね。

いやー、こんなスゴイ人がこんな事言っちゃったら、

そりゃ怖いですよね。

まぁ、城の基礎に埋められている卵が割れるほどの事態なら、地震だろうが戦争だろうが町中とんでもないことになるのは当たりまえ、「そりゃそうじゃないかなぁ…。」という気がしないでもないですが…^^;

この卵城伝説、

かなりの人によって長い間信じられていまして、

14世紀には城のアーチの一部が崩れたことから住民達が

「たまごが割れたんじゃないか!!?」

…と大パニックを起こしたため、

当時の城主・ジョヴァンナ1世女王が

「“卵”を確認したけど大丈夫だったわよ。(汗)」

と宣言する事態になっています。

伝説はいろいろな書物によってヨーロッパ中に広まり、

更に700年後の19世紀になってもしっかり残っていたようで、

19世紀後半の有名女流作家セラーオさんが、

「魔術師ウェルギリウス」

について当時広まっていた伝説を、著書に細かく書き記しています。

 

◆じつは卵の呪いをかけたのはノルマン人?
実際は、その地を征服したノルマン人が城を改築した際にそのおまじないをかけたとも言われており、現在のガイドブックには「ノルマン人が…」と書かれていることも多いようです。

どうしてウェルギリウスさんになったのかを考えると、

「ノルマン人が“町の模型”を作って地下封印した。それが壊れた時に災害が…」

という伝承が、ノルマン人の古い伝説としてありました。

その一方、古代ローマでは、卵が「物事のはじまり」を意味しました(参照)。

何かを始める際に縁起をかつぎ「卵をささげる」という風習があったのです。

日本の「地鎮祭」のように、

「築城の開始にゲン担ぎとして卵を奉納した。」というウェルギリウスさんのエピソードと、征服者ノルマン人の伝説が、混ざっちゃったのかもしれません。

彼の著作『アエネーイス』は、

ギリシャ神話の神様・英雄が戦う「トロヤ戦争」の後日譚であり、ローマの建国神話として、神さまの勇気や悩み、恋をイマジネーション豊かに生き生きと描いています。

「ラテン文学の最高傑作。その影響を受けていないラテン文学は存在しない。」と言われるほどの作品で、後世の戯曲や絵画・彫刻、さらにはファンタジーやSF小説、映画や宗教観に占いなど、あらゆる文化に大きな影響を与えています。

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ただ…、まさか死後千年以上も経って、まったく違うイマジネーション、

「魔法使い伝説」の主人公として自分が語られるとは、

夢にも思わなかったでしょうねェ…

ウェルギリウスさんからすると、

「エッ!?オレそんなことしたっけ!?」

なんて言いたいところかもしれませんね。

なんにせよ、

今でも卵城がちゃんと崩れずにありますから、

千年の間、城と町を守った卵が

人知れず城のどこかに眠っているかもしれません……。

ロマンですねェ。

ここまでお読みくださって、ありがとうございます。

(関連:たまごのチョット怖い伝説【取り替え子】 – たまごのソムリエ面白コラム

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