小林ゴールドエッグ

ソムリエ日記SOMMELIER DIALY

千年の昔、鶏の卵は一年に一度しか生まれなかった。

お蔭様で、新聞にも取り上げていただき、たくさんのお問い合わせをいただいてます。これも、皆様のおかげ、とってもうれしいですね。
しかし、記者さんはスゴイですね。私は結構とりとめの無い話をするんですが、短い文章の中、伝えたい事を完璧にまとめてくださって、さすがプロの技、と感動しました。

さて、ようやく暖かくなってきましたね。会社の前の早咲きの桜も、満開になっています。心もウキウキするこの時期が実は最高の卵を食べることができる季節、つまり「卵の旬は春」だってこと、皆さまご存知でしょうか?昔むかし、にわとりがかけ合わされたり品種改良されていない平安の頃には、鶏は他の鳥類と同じく、一年に一度、春の時期しか卵を産みませんでした。一年に約十個。それも春だけ。ですから今でもこの時期の卵は、張りも甘味もあって極上の風味になります。千年の昔なら、初鰹や秋茄子もビックリの贅沢品ですね。どうでしょう?今のマツタケ以上の希少性があったのかもしれません。

「木屋平高原放飼い卵」の飼育シーン。昔ながらの放牧です。

それを思うと、何十種の卵があり、ケーキにオムレツ、卵かけ御飯と、毎日こんなに美味しい卵料理を食べられる 我々の生活は、本当に贅沢です。
「おとぎばなしーの王子でもー♪、とてもー食べられない、アイスクリームー♪」という子供の歌もありますが、大昔だったら世界中の富を積んでも食べられない贅沢が、我々にはできるんです。私なんかもついつい他人と比較して幸せ尺度を考えてしまいますが、相対的じゃなく絶対的に考えるか又は別の時代と比べたり、考え方一つでこの不況のなか、いくらでも幸せを追求できるのかもしれませんね。

それにしても、私は仕事がら、毎日色んな卵を5、6個は食べていますが、『一年に一度だけ』食べるとしたら、どんな味に感じるでしょうか?どんな料理にして食べるでしょうか?逆に、その味わい、満足度はもしかしたら今と比較にならないかもしれません。

これぞ究極の贅沢!なのかもしれませんね。 卵大好き人間として、とても試してみる事はできませんが・・。

カテゴリー | ソムリエ日記 , たまごの歴史・文学・文化学2009年03月24日